eight8’s blog

エイトと共に歩む人生 夢見る君は美しい

横山裕は変わってなかった。

関ジャニ∞の最年長。


ジャニーズとは思えない口の達者さで有名な彼。


関ジャニ∞がまだ今ほどの地位を得ていなかった頃、横山は特攻隊長としてバラエティに出れば頑張って喋っていた。


最近の横山裕をみて、私は彼が変わってしまったと思っていた。確かに、間違いなく、変わった。


関ジャニ∞としてバラエティに出ても他のメンバーを前に出すことが増えた。


10周年あたりで彼は確実に変わった。私はそこに村上信五という存在が大きく関係していると思っているが、今回は横山裕に焦点を絞りたい。(自担書き始めると止まらない)




誰よりガツガツ前に出ていた人が急に出なくなった。多くの人が変わったと思うと思う。私自身思った。


じゃあ、向上心がなくなったのか。やる気がないのか。





違う。


彼は迷っていたと思う。ちょうど同じ頃、ヒルナンデスから村上が卒業した。これまで何をやっても突っ込んでくれたりのってくれたりした相方がいなくなった。



当たり前だ。相方がいないところでボケ倒すことなんてできない。そんな無責任なことはできない。



あくまで私の私見ではあるが、ヨコヒナは相方だ。横山は村上がいる時は自分もボケる。でも、村上がいない時は自分で処理できる範囲内でしか無茶しない。



それだけのことだと思う。事実、このあいだのレコメンでは何1つ変わらない声であの頃のテンポでトークを繰り広げていた。




それだけだった。たったそれだけなのに変わったと思っていた。おそらく、彼の容姿も関係していると思う。

ぽちゃっとして下手すれば二重顎なよこちょはいないから。

容姿端麗な白い美しい年齢とは似つかわしくない横山さんがいるから。


呼び方もすっかり横山さんだ。

綺麗になった人を弄りにくいのだと思う。あまりにも綺麗になりすぎたから、自分の売り出し方を考えたと思う。根っからのプロデューサー気質なヨコだから。



試行錯誤した結果がそれだった。ヒナがいる時は弾けるけど1人の時は抑える。絶対突っ込んでくれる人はいないから。


そして、いつも隣にいた相方はいないから。でも、彼はまた1つ才能を開花させた。圧倒的にゲストを輝かせるようになった。引き立て役に回れるようになった。


大人になったんだと思う。




大丈夫だ。私たちが愛したよこちょはちゃんとそこにいた。


ヨコヒナは完成形をちゃんと持ち続けていた。安心した。



横山裕は自分の魅力に気づいていた。よかった。



レコメンは素敵な場所だった。迎えに来てくれてありがとう。やっと卒業だね。5年間も留学でもしてたの?遅いよ。ヨコヒナやっと卒業できるよ。横山裕の本当のレコメンの卒業がやっとできた。それが嬉しい。

ちゃんと卒業記念品のヒナちゃん受け取ってお互いにね。これからも大事にして欲しい。



横山裕はいつだってその先を見据えている。


応援してます。頑張れ!

ヨコヒナのヒナ

横山裕村上信五


いわゆるヨコヒナ


関ジャニ∞の特攻隊長


熟年夫婦のような関係



とまぁ彼らを表す言葉はそれはそれはたくさんある。なぜならかれらは出会って21年以上隣にいる存在だから。


1997年12月25日

まさかこの日たまたま出会った2人がもうずっと人生を共にするなど本人達でさえ気づいていなかっただろう。


端正な顔立ちをした横山とあどけなさが残る村上。生い立ちも雰囲気も全く違う2人が、当時から仲が良かったのがネットの海に残されている。(見てみてください)



数年前まで、ヨコヒナはずっと隣にいた。ヒルナンデスもレコメンも木曜日はヨコヒナ曜日何て言われるくらい全てが同じだった。


あまりにも一緒に居るので、2人のことを話すレコメンのために普段はあまり話さない、と公言していた。


横山がレコメンから旅に出た2013年3月。2人の歯車は少しずつずれを生じるようになった。


それまで横山のことを全て受け入れ、彼のやりたいようにやらせていた村上が拒否するようになった。あまりに分かりやすくヨコヒナセット売りを嫌がった。

その頃村上は1人での仕事が増えていた。自分には何もなかった。と語る彼がたくさんのことを手に入れた。


村上はいつだって関ジャニ∞のためになるなら頑張ると言って頑張ってきた。そして村上が出した答えがヨコヒナは離れなければいけない。というものだったのかもしれない。


一方の横山は村上を自分のそばに置いたおきたかったのではないかと思う。横山にとって村上は可愛い可愛い守るべき泣き虫ヒナちゃんのままなのではないか。


ふたりが離れるようになって気づかされたことがある。彼らはあまりにも偉大だった。空けた席に座った丸山もジャニーズWESTの2人もとてもじゃないけど埋められるものじゃなかった。それでも横山と村上は彼らのために空気を作った。人が変わるたび、ヨコヒナじゃないものを作った。そして村上はヨコヒナのヒナから先輩、仕事人、村上信五になった。


私はそれが寂しかった。レコメンまでそんな場所になってしまったのか。彼のホームでまで仕事人村上信五でいなければいけないのか。


仕事人村上信五はとてもかっこいい。誰よりもかっこいい。でも、ヒナちゃんは守るべき存在だ。


横山はそんな村上を受け止めきれなかったのだと思う。今もヒナちゃんが零れ出すと焦るし怒る。だって彼にとってヒナちゃんは宝物だから。



村上はレコメンもヒルナンデスもお互いが守っている。と言ったことがあった。


守っていた。ずっと。大切な相方のために守り続けてきた。でも、ジャニーズWESTの2人がレギュラーになった時からきっと決まっていた。いつかは離れなければいけない。



2017年12月。村上のレコメン卒業発表。


あの日私は涙が止まらなかった。なんで。なんで。ヨコヒナの場所を奪うの?そこはヨコヒナの場所。Jr.時代からずっと積み上げてきた彼らの軌跡。潰さないで。やめて。壊さないで。そう思った。


横山が突然の卒業発表をした時はただただ唖然とした。ラジオから聞こえる声が突き刺さった。あまりに突然で5年間消化不良のままだった。WUで見た村上の目は赤く潤んでいた。


だから、まるヒナのレコメンは聞きたくなかった。でも、聞くしかなかった。レコメンを十何年と聞き続けた私に聞かない選択肢がなかった。辛かった。横山裕がいないレコメンはレコメンじゃなかった。それでも、丸山は関ジャニ∞のメンバーだからきっと分かっていた。横山と村上の思いを。理解していた。だから聞けた。村上の楽しそうな声を聞かしてくれた。



2015年丸山レコメン卒業。

村上は泣いていた。涙声で話していた。「まる、いかんといて。」そんな声が聞こえそうで辛かった。泣いていた。送り出すのは辛い。残された自分はまたそこにいた人を感じながら同じ場所で戦わなければいけない。


この年のイフオアで「なんでお守りばっかりしなあかんねん。」「別れは突然」と語った。我慢し続けた彼の本音だった。

いつだって人のために頑張ってきた彼の本音だった。


横山は決してレコメンに出なかった。ずっと。たびに出てふらっと戻ってくるかもって言っていたのに帰ってくることはなかった。でも、そんな彼の言葉は誰の言葉より村上を強くしたと思う。帰ってくるって言ったから。守り続ける。それだけだった。


ジャニーズWESTがきたレコメンという名のラジオはもうヒナちゃんなんてひとかけらもなかった。先輩だった。ずっと。強い先輩だった。引き継ぐ後輩になにもプレッシャーを与えないために少しずつ引導を渡していた。ヒルナンデスの最後に後輩を呼んでくれる人だ。そんな人だ。強い人だった。彼の本音はそうそう聞けるものじゃなかった。


ヨコヒナの2人仕事がなくなったのは2015年3月。村上ヒルナンデス卒業とともにそのゴングが鳴った。横山がレンジャーで縦読みでメッセージを記した。不器用な彼が出来る精一杯だったと思う。


ヨコヒナは離れた。それでもメンバーは2人が話せばキャイキャイしたし、私達もヨコヒナの小さな1つ1つに一喜一憂した。当たり前に一緒にいた時ならそんな程度なのかもしれないけど、離れた今、大切な大切なものだった。ヨコヒナは求められる需要と供給に気付いていた。


ヨコヒナを毎週見ることはなくなったけど、お互い先輩として頑張っていた。関ジャニ∞の活動では2人は相変わらず年上組で年下組を支えていた。


そんなある日事件は起こった。

(ちょっと大袈裟)


2017年1月

横山裕が夜ふかしに来た。そこはどの場所より村上信五が仕事人として頑張る場所だった。そこにヒナちゃんは必要なかった。

横山がそこにいる。1ゲストとしてきている。ただそれだけなのに彼はヨコヒナのヒナになってしまった。村上信五の中で横山裕はあまりに大きすぎた。そして横山は村上を自分のものにしすぎていた。

ゲストがゲストじゃなかった。夜ふかしにはいらない空気が流れていた。あまりに違和感があり面白みのない空間だった。

マツコは村上を信じている。自分の中の夜ふかしの村上になってくれると。そんな村上を求めすぎる2人が対面してしまった。


もう村上に全てがかかっていた。正解はマツコをとること。でも、彼にはできなかった。というか、横山が来た瞬間に横山に軍パイが上がっていた。それが全てだった。


ヨコヒナのすべて。



ヨコヒナは隣にいすぎた。お互いに身を任せていた。支え合いすぎていた。2人の空間がなくなってもむしろ、なくなったからこそ2人は改めてお互いを見た。それだけだった。ヨコヒナを嫌がった村上はもういなかった。氷河期とまで言われたヨコヒナはもう優しく優しく溶けていた。横山が村上に絡むようになった。


記憶に新しい2017年12月

クリスマス音楽祭でもヨコヒナをしていた。ビジネスでもいいと思った。それをテレビでできるようになったことが嬉しかった。横山が顔を真っ赤にしながら話すのが愛おしかった。


2018年3月

あまりに色々ある今年。乗り越えなくてはいけない。イフオアの千秋楽に横山がいたと目情が出た。最強の同担だと思った。最強で最高の同担。イフオアが一度幕を閉じるというそんな時だった。




3月22日

村上信五にとって残り2回となったレコメン。横山とのたくさんの思い出が流された。その1つ1つを聞く彼はあくまで仕事人だったけど、間違いなく彼の中にたくさんの記憶が思い出されただろう。優しい声で軽トラさんって言ってたとか言う彼は本当に優しくて強い人だった。



 



日付をまたいで3月23日




翼くんが終わってすぐ。パニックだった。




「お酒飲める言うから。」



と言って入って来たのは横山裕だった。あんなに待ち望んだ横山裕がレコメンに帰ってきた。


その瞬間、村上の空気が変わった。優しくて優しくて暖かくてそして素直に喜んでいた。声が変わった。雰囲気も変わった。そこにいたのは紛れもなくヨコヒナのヒナちゃんだった。


横山裕は偉大だ。同じグループの21年以上の付き合いの36の男を一瞬で変えてしまう。



帰ってきてくれてありがとう。


迎えに来てくれてありがとう。


村上信五は1人じゃなくなった。あまりにも横山はレコメンに馴染んだ。時間をかけて構築したジャニーズWESTとのレコメンはすぐにそこからなくなった。



ヨコヒナのレコメンだった。



イフオアの話を本人から聴けるなんてありえなかった。チャカすようにはなすヒナちゃんは全ての語尾に音符が付いているかと思うくらいはしゃいでいた。久しぶりに聴いた本来のレコメンの形だった。


夢かと思った。望みすぎた幻かと思った。


ジャニーズWESTの2人は外に出てくれた。横山裕村上信五レコメン!だった。こんばんわんつーを横山がいなくなって辞めたヒナちゃんが言った。ヨコが言った。こんばんわんつー。とヨコが言った後のヒナのうわぁ。という声がもうダメだと思った。涙が一生分でたと思った。


2人で話す彼らは何も変わっていなかった。愚痴を言うヨコとそれを面白がって優しく相槌をうち笑うヒナ。ヨコに褒めて褒めてと求めるヒナ。それがヨコヒナだ。これこそがヨコヒナ。


一生かかっても誰にも超えられないヨコヒナ。


年月が経ったのはわかる。その間に関係性も変わったし立ち位置も変わったのもわかる。でも、レコメンのヨコヒナは何1つ変わっていなかった。それがたまらなく嬉しかった。


「10時から来てくれたら良かったのに」


「5時までやろうや!」


一瞬にしてヨコヒナのレコメンになった彼らはそんなことを言ってくれた。久しぶりに聞けた2人の本音だと思った。



後輩ができて、たくさん我慢して、譲って、悔しい思いもいっぱいして、それでも頑張る2人の本音。



たくさん諦めてきたんやろうな。いろんなもの捨てたんやろな。大切なものを守るために自分の犠牲になんら疑問を持たない人たち。



2人は36になってもアホな大人だった。低俗なラジオとヒナちゃんが言ったけど、低俗な2人が大好きだ。


番組の最後にヒナちゃんが言った。



「もういっそこの番組潰したろか」



これもまた本音だと思う。

自分が卒業するのに淡泊だったヒナちゃんが初めて言った言葉。あまりにも強烈だった。ヨコがきて初めて言える本音。


ヨコがヒナちゃんにかけてくれた辞める美学。ありがとね。守り抜いたヒナちゃんを労ってくれてありがとう。続けることも辞めることも全部いいところだと言ってくれてありがとね。その言葉に救われたと思う。


自分を育てたこの番組。この場所。そこはこれから先ずっと何があっても村上信五のものだと思った。


レコメンはヨコヒナのホームだ。


関ジャニ∞の思い出。関西Jr.の思い出。ヨコヒナの思い出。三馬鹿の思い出。年下組との思い出。先輩、後輩との思い出。

デビューした時。内博貴が抜けた時。初めて城ホールにたった時。初めてドームに立った時。身内に不幸があった時。初5大ドームツアーをした時。新しい曲を出す時。何か発表がある時。後輩がデビューする時。ドラマに出る時。映画に出る時。全国区でのレギュラーを持った時。ゴールデン番組を持つ時。大きな災害があった時。そして誰かの卒業を見送る時。泣きたい時。悔しい時。辛い時。楽しい時。笑える時。関ジャニ∞が大きくなる時。村上信五横山裕が大きくなる時。そのすべてが詰まっている。



たくさん笑ったね。2人で。ヨコヒナで。ヨコヒナのレコメンは本当にいつだって面白かった。これからもヨコヒナしててね。ヨコヒナはずっとヨコヒナのままでいて欲しい。


5年間の消化不良がたったの30分で昇華された。ヨコヒナは偉大だ。ずっとずっと偉大だ。これからも。



錦戸亮ちゃんにレコメンしてーや!って言われたらまたしてあげてね。すばるくんに変な顔される2人たまには見せてね。まるちゃんのことを親のように見守る2人でいてね。ヤスくんをフォローしたりされたりちょっと変な関係でいてね。大倉がヨコヒナを積極的にくっつけようとしたら乗ってね。

これからも5人の親みたいな2人でいてね。




ヨコヒナは最高で最強の関ジャニ∞の宝です。愛してます。相変わらずな2人で良かった。

アイドルが結婚すること

私はアイドルの結婚に寛容だ。

してもらっていいし、自分の幸せを追って欲しいと思う。


熱愛報道が出てもそれが本人にとって幸せな恋愛ならそれでいいと思う。


でも、こう考えるようになるまでは本当に色々あった。




かつて、私の担当アイドルくんの錦戸亮という人はフライデー御用達ジャニーズだった。彼女がいて女に溺れればあからさまに薬指に指輪をつけてしまう人だった。


ジャニーズを応援する人の多くが知っているであろう赤西軍団の一員、むしろ中心メンバーとして山下智久赤西仁らとともに夜の街に繰り出していた。


六本木での目撃情報なんてしょっちゅうあったし、それは多くのプライベート写真が流出した。


私は彼を嫌いになれなかった。仕事には手を抜かなかったから。アイドルとしては最低だと思う。だけど、仕事をやりきってくれる限り嫌いになんてならなかった。


私の周りにたくさんいた錦戸亮のファンは1人、また1人と何か報道が出るたびに減っていった。


それでもやっぱり彼は仕事を全うしていた。関ジャニ∞の仕事人だった。


Jr.時代から彼らを見続けてきた私には彼らの恋愛を否定することなんて不可能だった。

たった1人で何も知らない東京に出てきて高校生が親と離れてホテル暮らし。




関ジャニ∞というグループは学歴がほぼない。丸山が高校を卒業している以外、その他の6人は中学までしかきちんと学校に行けていない。

だって、仕事があったから。両立なんてできなかったから。東京のJr.達には芸能人のための学校に入る選択肢があった。でも、関西から出てきた彼らにはそんなものはなかった。


人生で一度きりしかない高校生活をできなかった。普通の高校生になんてなれなかった。それは本当に大きいと思う。

周りの同年代の友人が彼女を作って、勉強して、学校行事に精を出す。そんな経験をしなかった。できなかった。


それでも彼らはジャニーズを選んだ。


そのことに関して、結婚しにくいことを、彼女がばれないようにしないといけないことを、全部わかっててジャニーズとしてアイドルといて生きるのを選んだのは自分やから責任持て。なんて言えない。何も知らずに飛び込んだ芸能界で普通の生活には戻れなくなった彼らにはたた、そこが残された生きる道だった。



だから幸せになって欲しい。誰よりも幸せになって素敵な家族を持って欲しいと思う。

いつだって私たちに幸せを与えてきた関ジャニ∞には。



錦戸亮の話に戻るが、彼は2014年たった4年ほど前、もう消せない過ちを犯した。あの時は正直、終わろうかと思った。山下智久だけが書類送検され、同じ場にいた彼はアーティスト仲間とTVでは報じられていた。


2014年といえば、関ジャニ∞10周年。まさに24時間テレビを控えた時の出来事だった。


それから山下と錦戸の交流を聞かなくなった。きっと彼は許せていない。あの時の自分をまだ許せていないのだと思う。山下はたまに"亮ちゃん"の話をラジオでする。雑誌でも名前を出す。錦戸は頑なに出さない。


十祭で彼がプライベートのことでも迷惑かけて…。と話した場面が映像化されている。

誰かの熱愛報道が出るたび、あれ以来熱愛出してない錦戸見習え。と飛び交うのをよく見る。


違う。そうじゃない。と思ってしまう。錦戸がアイドルとして偉いわけがない。ただ、本人の中で何かが変わっただけだ。過去のことなんて消せない。残り続ける。




それでも私は彼が好きだ。祝福される幸せを掴んで欲しいと思う。






ジャニーズは大変な仕事だ。プライベートまで追いかけ回され、写真を撮られ、時にはインタビューまでされる。世間が隠す事を求めるなら、追いかけまわさないで欲しい。

彼らにだって支えてくれる人は必要だ。わかってくれる人が必要だ。


芸能人なんだから、アイドルなんだから、仕方がない訳ない。一人間としてプライベートはあくまでプライベートとしてそっとしといてあげたい。



変な噂も捏造された記事も彼らを追い詰めないで欲しい。ファンにはそれを願うことしかできない。




はじめに書いた通り、結婚してもいいと思う。ひとつだけ望めるのなら、祝福される結婚をして欲しい。



そして、誰より幸せになって欲しい。


傷付くファンがいるのも知っている。担降りするファンが多いのもわかる。恋愛を認めてあげるファンが偉いわけじゃない。本気で愛していないわけじゃない。



あくまで私は、幸せを願うだけだ。


渋谷すばるという存在

渋谷すばる。メンバーカラーは赤。基本的にはセンター。

バンド形態でもメインボーカル。

関ジャニ∞の中心人物である。

もちろん、関ジャニ∞は全員が中心だ。それでも始めて関ジャニ∞というグループの曲を聴いた時、間違いなく渋谷すばるの声が聞こえてくる。



渋谷といえばJr.時代、東の滝沢西のすばるとしてその名を轟かせた。当時の渋谷は、誰よりも前に出て喋って、センターで歌って、ソロで歌って…。何百人といるJr.の中で彼は間違いなく飛び抜けていた。


そんな彼が一世を風靡するしたのはMステで披露された「愛してる愛してない」。この時から、彼の道はあまりにも早くあまりにも唐突に眩しすぎる輝きを纏ったのだ。


二宮和也と共にJr.でありながらドラマの主演を務め、関西のエースとして活躍した。


そんな彼の輝かしい道は彼自身の手によって途絶えた。当時、渋谷は消えた。と世間では言われていた。

彼は、自分から仕事を減らした。関西から出てきて、親元を離れて東京に来た。仲間がたくさんいる合宿所で暮らすうちは、1人になれなくてしんどかったけど、頑張れた


でも、合宿所をでて一人暮らしを始めると、なぜは自分はこんなことをしているのか分からなくなった。彼はあまりにも硬くて暗い殻に入った。


当時持っていた横山、村上とのレギュラー番組も生田斗真と交代になった。仕事なんてできる状態じゃなかった。


たまに少年倶楽部に出て歌を歌う。その歌声はあまりにも辛く重く苦しく突き刺さるものだった。彼の歌声が当時の彼自身を物語っていた。


殻を破ろうとしてくれる人はいた。横山も村上も彼を支えようとした。当時の彼を村上は嫌いだった。と語った。そして、俺たちがどうしても破れなかった殻をジャニーさんが破ってくれた。とも語った。


ジャニーさんは彼を見捨てなかった。




髪の毛は金色。ピアスの穴。そして彼の目に宿った闇。泣き叫ぶような歌声。そして右手の甲に掘られた髑髏の刺青。





アイドルとは言いようのない姿の彼をアーティストとして育てようとした。渡米させて勉強させようとした。

しかし同時多発テロでアメリカ行きはなくなり、結局大阪に帰ることになる。


大阪に帰るとあの輝きに満ちた日々を共にした仲間がいた。

帰ってきて初めて、松竹座の舞台に立った時ファンがいて、泣いてくれていたという。そこで自分の存在を求めている人がいることに彼はやっと気づく。


ここからデビューまでの道もまぁそれはたくさんのことがあるのだが、割愛する。


関ジャニ∞がデビューする。

デビュー曲は演歌。他のメンバーはこのことに関してネタにして笑いをとるが、そういう時渋谷は何も言わない。彼にとって演歌は誇らしかったのだと思う。



右手にはいつも黒のグローブをしていた彼は関ジャニ∞のメンバーに出会って心許せる仲間に出会った。

そんな彼がグローブを外したのはもう何年も前だろうか。関ジャニ∞としてデビューして2年足らずといったところだろうか。今はもう綺麗になってきたが、暫くは黒い痕が残っていた。



彼は誰よりも人間らしいアイドルだ。ビブラートを響かせ、身を削るように歌い、リアルを伝えるアイドルがいてもいいと言う。ど直球に投げてくる人だ。



2015年。インタビューで彼はアイドルになろうとしている。と答えた。


笑顔でLIVE中にカメラに向かって手を振るようになった。ファンサするようになった。歌い方も少し変わった。そして、ダンスに向き合う姿勢が変わった。


その変化を変わってしまった。と捉える人もいる。何しろ、彼の命をかけて歌う姿に惹かれた人がたくさんたくさんいるからだ。


私には、やっとアイドルを認めてくれたように思う。自分のやりたいことをして、葛藤してぶつかってきた彼がやっと自分に対する答えらしきものを見つけたのではないか。



アイドルとは便利な言葉だと思う。ジャニーズにいれば間違いなくアイドルと言われる。自分は何なのか。歌を好きじゃないと言った時期もあった。大切にしていたバンドを失くしたこともあった。大事な仲間を失うこともあった。そんなことを乗り越えた彼は自分を認める強さを持った。


彼がJr.時代から尊敬するアーティストの演奏に彼がたった1人で入る機会があった。その時、彼の中で何かが変わったと思う。ずっと目指してきた人たちにアイドルである自分を認めてもらえた。そこが重要だったと思う。




渋谷すばる。彼は不器用な人間だ。


私たちファンにeighterと名付けてくれた彼は誰よりファンを大事にする。


関ジャニ∞を家族を大切な仲間を大切にする。


1人で表舞台に立つ時には関ジャニ∞を背負う。





Flat Five Frowers


彼が関ジャニ∞とは別に活動したバンドだ。このバンドを大事に大事にしていた頃の彼は今とはまた別の形で活き活きしていた。

でも、あまりにも脆くてちょっと気を抜けば関ジャニ∞を離れてしまうのではないかとそう思ってしまう彼でもあった。

それでも、この活動を関ジャニ∞のメンバーの多くは応援していた。認めていた。よかった。あなたに大切な大切な守ってくれるそして守るべき仲間ができて。



いつでもあなたの全ては歌にある。あなたを物語るのはあなたが届ける歌に込められている。


優しく笑うようになったあなたは、Jr.時代の渋谷すばるを救ってあげられたんだね。


横山裕村上信五に出会えてよかったね。2人はいつでも何があってもすばるを支えてくれたね。そしてこれからも支えてくれるね。


年下組とも出会えてよかったね。あなたを見ていてくれる。そして助けようと手を差し伸べてくれる。


渋谷すばるを支える人は彼自身が思っていたよりずっとたくさんいる。

昔からのスタッフさん、関ジャニ∞、家族、そして沢山のeighter…。


彼が苦しんだ時間は決して無駄じゃない。苦しんで、悩んで、辛くて傷付けて、傷付いてきた。その数以上の幸せを笑顔を彼は届けてくれる。



彼の存在はeighterを強くする。

彼がそこにいるなら関ジャニ∞もそこにいる。



私が初めて渋谷すばるを見たのはまさしく「愛してる愛してない」を歌う彼だった。細くて小さい体から出るその歌に私は震撼した。


渋谷すばるは人を魅了する。

大人になった彼は今でもJr.時代の輝きとそして内に秘めた闇を持っている。



何も変わらない。何一つ。あの頃の渋谷を今でも見ることができる。


ただ一つ変わったのは彼には仲間ができた。それだけだ。





渋谷すばるでいてくれてありがとう。

関ジャニ∞における食べ回しの概念

関ジャニ∞はもうメンバーが出会って20年近いグループだ。


したがって、家族より一緒にいて、もはや本人たちから

「兄弟みたいなもんやからね」

と言う発言が出るほど兄弟のような関係性だ。

その中で私はもうあらゆる番組で食べ物を食べる時の彼等にありがちな行動、食べ回しを見て1人幸せになっている。



記憶に新しいのはさまぁ〜ずさんゲスト回のいきなりドッヂだろうか。おにぎりが15種類運ばれてきて選ぶのだが、さまぁ〜ずさんが2個選んだ後、彼等は1人1つ選ぶのではなく、美味しかったおにぎりをまさかの食べ回しで共有している。


尊い


他にもジャニ勉の前園真聖・おのののか回でも見られる。横山が食べていたかぼちゃ味の豆腐プリンがこれめっちゃ美味い!と言ってメンバーに食べて!食べて!と勧めて共有している。



また、2015年に行われたジャニ勉400回記念箱根旅では、渋谷がメンバーに1つの籠てまりえびを回し食べしている様子がよくわかる。


まぁ、上げていけばきりが無いのだが、彼等にとってごくごく普通なことがよくわかる。




村上が取材でこんな発言をしたことがある。


Q:先日、村上さんが錦戸さんとみそ汁をシェアしていましたが笑


村:日常茶飯事ですね、関ジャニ∞では。弁当のおかずの交換もしますし。ちなみにあの日は錦戸が飲み切れなかったみそ汁の残りを僕が飲んでました!




三十路近いおっさんの行動じゃ無いよ。普通はやらないんだよ。


尊い


そういえば関ジャニ'sエイターテインメントのビジュアルコメンタリーでも見られたな。1つのおかずをシェアするエイトさん。


何歳になっても変わらず回し食べが当たり前なあたり小さい頃から一緒にいすぎて距離感麻痺してるな。



まぁ、ここ最近でいちばんの衝撃だったのは納豆だ。納豆を回し食べという概念がなさすぎてあまりの衝撃に1人眩暈がした。




18年見てきた彼等からさらなる衝撃をこんなに当たり前に繰り出されるなんて!!





クロニクル内のおるおるで安田が食べた納豆を普通に錦戸が食べ、更に大倉が食べている。私なら家族でも無理。母親でも無理。


これはもう距離感間違えている以前の問題では?


素直に凄いわ。尊いわ。


しかも取り分けとかじゃなくて普通にパックの納豆を同じお箸で。衝撃が走った。


私が今までに衝撃的だったエイトさんの食べ回しは

納豆、みそ汁、りんご、練り物系、飲み物系、パスタ、カレー、シチュー系といったところだろうか。


もうやり過ぎていてわからない…。


まぁ、少なくても全員が三十路を超えた人たちがやることじゃ無いのがよくわかる。



でも、美味しいものはメンバーと共有したいというその考えが心から尊くて優しくてファンとしては嬉しい。





これからもそんな端から見たら変な関係でいてね。ずっとメンバーと共有したい!って思える関係性でいてね。




楽屋がうるさい。とは本人たちの口からも諸先輩がたからもよくよく聞く情報だが、これからもずっとずっと楽屋でアホやってる関ジャニ∞さんでいて欲しい。



村上さんに関しては1人のお仕事でもスタッフの方と楽屋で爆笑してるみたいやけど。それはそれで凄いな。さすが村上信五!といったところだ。



つらつらと書いたが、もちろん食べ回しが汚い。嫌という人も中にはいるかもしれない。それはそれで良い。私自身、自分は食べ回しができないタイプの人間だ。でも、関ジャニ∞さんの食べ回しって尊くないか?




個人的意見でした。




泣き虫ヒナちゃん

泣き虫ヒナちゃん。

この呼び名に聞き覚えがある人はどれだけいるのだろう。

当時Jr.黄金期と呼ばれる滝翼、嵐、関ジャニ∞生田斗真山下智久といった今をときめく彼らがJr.だった頃の村上信五を評する言葉だ。


当時を知らない人からすれば、あれだけバラエティで身を削ってまで笑いを取り、場を収める彼をそうは思えないだろう。

も、確かにそんな時代があったのだ。



今から約21年前村上信五は関西ジャニーズJr.として芸能界に飛び込んだ。そこには横山裕渋谷すばるという今なお彼の戦友である2人がいた。


東京に出だした頃、村上は横山、渋谷の後ろをついて歩くまるで女の子のようなかわいい子供だった。事実、先輩に女の子に間違われたことまである。


面白いことも言えず、2人の発言をただただなぞるしかなかった。


そんな彼にとって横山と渋谷はいつも自分の前を進む存在だった。また、2人にとって村上は守るべき存在だったように思う。



「ヨコには演技の仕事があったしすばるには歌があった。俺には何もなかった」


そんな彼が見つけたのがツッコミというポジションだった。

やっと収まる場所を見つけた彼は横山と渋谷と共にJr.の一時代を築き上げた。


順風満帆に思われたJr.時代は思ったよりも早く冬の時代を迎える。同期がデビューし、後輩の方がテレビに出る。そんな現実を目の当たりにする。


それでも、村上は細々とではあるが東京で仕事を続けていた。ところが、ついに途絶えてしまう。

もう家賃だけが無駄になる。そんな現実を突きつけられた彼ちは大阪に帰るしか残された道はなかった。



大阪に帰ると、そこには仲間がいた。後輩がいた。横山、渋谷が自分と同じように打ちひしがれて戻ってきていた。


彼はそこで大阪の仲間とともに舞台を作り上げることになる。





伝説の舞台「Another 」

ラストチャンスだ。




それでも、客席を埋めるのにもまた苦労した。たった千人のキャパが埋まらない。毎日毎日スタッフと話し合った。松竹座で寝泊まりして日々を過ごした。



それからほどなくして、彼は大切な番組と出会う。


「Oh ソレ ミ〜ヨ!」


芸能界の大先輩である西川ヘレンさん、ハイヒールモモコさんとの出会いであった。

彼はそこで今も続く大切な縁を繋ぐことになる。

芸能界のイロハ、人間として大切なこと、一般常識。ありとあらゆることを吸収し、経験し、着実に今につながる土台を作り上げた。


その姿はかつて横山と渋谷の後ろで困った顔をしていた村上の印象を完全に払拭するものだった。



2004年Jr.生活がついに終焉を告げる。関ジャニ∞デビュー。


それは彼らが夢に見たまさしく夢舞台だった。


だが、そこからの道はまた険しく長いものだった。事務所からはJr.の頃と同じ扱いを受ける。事務所の集まりには呼ばれない。大阪に囚われた曲しか出せない。



波乱万丈なグループである。

一筋縄ではもちろんいかなかったし、ぶつかり合うことだって少なくなかった。



個性の集まりである関ジャニ∞をいつもまとめて話を聞いて救ってきたのは村上信五だった。


エイトのためならなんでもする。

そう言った彼は紛れもなく強くなった彼だ。自分の居場所をきちんと見つけたのだろう。


エイトのおかん。

そう呼ばれる彼にはもう泣き虫ヒナちゃんの片鱗はなかった。


それでもきっと横山と渋谷には感じてしまうのではないか。当時自分たちが護ってきた泣き虫ヒナちゃんという存在を。そして今も心の奥底にある甘えたい、ずっと年下でいたいという彼を。

だから今でも彼がはしゃぐのが苦手なのではないか。弱い村上信五を知っているから。無理してると思ってしまうから。


横山は村上が彼に何かを頼むと「甘えんなよ」と言うことが多い。甘える。そう。彼の本来の姿である。横山は今でも当時のヒナちゃんを重ねているのだろう。ここ最近の絡みを見てより一層思うようになった。


一方の渋谷はお互いが支え合う存在に変わっていったのではないか。村上は今でも渋谷を尊敬している。そして渋谷も今の村上に敬意を払っている。互いが支え、分かち合う。そんな関係に変わったのだと思う。



年下組にとって村上信五は先輩であり、お兄ちゃんであり、お母さんみたいな人だ。何かあれば庇い、守り、時には叱り、導いてくれる。そんな人だと思う。





彼はずっと強くなろうとしていた。弱い自分を止めようとしていた。





今や大御所キラー、おじさまおばさまキラーそして先輩や後輩とも積極的に連絡を取り関係を繋げる。かれはかつて自分にしてもらったことを後輩に還元しようとしているのではないか。




私は今でも時々思う。弱い村上信五でもいいんだよ。誰かに助けを求めてもいいんだよ。あの頃の自分をそろそろ許してあげて、またヨコとすばるくんに頼って泣いてそしてまた走り出せばいいんだよ。




決して今の村上信五を無理しているとは思わない。彼が選んだ道である。彼が信じた道である。



いつだって前を向くようになった彼に本当に時々でいいから過去の自分を見てあげて欲しい。それだけだ。





記憶に新しいレコメンでの発言がある。


「肩壊れるくらい種撒いた。もう誰も水やってくれへんし、やっと花咲いたおもたら踏みつぶされるし」



これが断片的だとしても当時報われなかった関ジャニ∞の本音の一部だと思う。




強くなったあなたは今誰よりも大きな大輪を咲かせている。それを誇りに思う。


NEWS 錦戸亮

 

ブログを開設した1番の理由はこれについて書きたかったからだ。

 

 

NEWS・錦戸亮

 

2011年10月7日 山下智久錦戸亮 NEWS脱退

それは突然の発表だった。

でも、いつかはこうなると多くの人が思っていただろう。

関ジャニ∞の活動が明らかに大きくなっていた。NEWSはもはやグループでの活動がほぼない状態だった。

 

 

 

 

 

 

 

2003年長年Jr.として活動してきたメンバーのデビューとともに、短すぎるJr.期間のメンバーのデビューが発表された。そんなグループがNEWSだった。錦戸亮内博貴。彼らは既に関西で幼いころからの戦友と共に関ジャニ8というユニットを組んでいた。後に絶望だったとメンバーが話すほど、2人の東京でのCDデビューは衝撃的なものだった。それでも錦戸は「俺、関ジャニ∞すきやから頑張るよ」と言ったという。NEWSとして活動しながらも関西でも舞台に立った。

2004年8月25日 関ジャニ∞関西デビュー

2004年9月22日 関ジャニ∞全国デビュー

これが錦戸亮にとっての怒涛の8年間の始まりだった。

 

共にジャニーズ初となるデビュー組の掛け持ちを経験した内博貴の早過ぎる謹慎と脱退。結果、錦戸はたった一人で誰よりも忙しい日々を駆け抜けることになる。

 

 

 

 

 

 

デビュー組の掛け持ちとは、すなわち曲や振り付け、雑誌のインタビュー、テレビ出演などほかのメンバーの倍こなすということである。また、錦戸はドラマにも数多く出演してきている。年に3日しか休みがない年もあったとも語っている。

 

事務所の先輩と絡めばNEWSなの?関ジャニなの?と聞かれ、そのたびに困った笑顔を浮かべていた彼。

 

MステではNEWSとして登場した後すぐに裏に回って衣装を変えて関ジャニ∞としてまた階段を下りる彼。

 

時間がないからとMステ1時間前に当日のダンスを覚える彼。

 

メンバーと振りおとしを一緒にできないからたった一人でものすごい速さで振りおとしする彼。

 

関ジャニ∞とNEWSのあまりの扱いの違いに衝撃を受けた彼。

 

片方に動きがあると片方は錦戸待ちになることに悩んでいた彼。

 

 

たった一人で戦い続けるあまり、やせ細っていく彼。

 

 

彼がNEWSを脱退する時たくさんの声があった。「裏切者」彼をそう評した人は数多くいた。おそらく、彼自身にも届いていただろう。

 

 

 

 

本当に彼は裏切り者だろうか?


 

 

関ジャニ∞では年下組。年上組に甘える姿をよく見てきた。

 

そんな彼がNEWSでは中心で引っ張っていく立場を全うしていた。積極的に意見を出し、コンサートの構成も彼が主体となって考えていた。溝があったメンバーを食事に誘って距離を縮めようとした。もっともその誘いに乗ったのは加藤だけだったようだが…。上手に話を回すために関ジャニ∞のメンバーにもアドバイスを貰っていた。NEWSのメンバーとしてテレビにでれば、苦手なトークも誰よりしゃべって頑張った。そのバラエティー番組の反省を横山・村上と共にすることもあった。

 

彼は決して自分に甘えなかった。いつだってもっとできる、もっと頑張れる、と自分を鼓舞していた。

 

 

当時、NEWSと言えば山下智久錦戸亮、その他大勢というイメージが強かった。その他大勢と言われた今のNEWSの4人も苦しかっただろう。でも、NEWSという看板を背負って戦う2人の苦しみをもう少し分け合うことはできなかったのだろうか。どうしてもそう思ってしまう。思い返せばNEWSの6人時代、NEWSに必要だった団結力をつけるために邁進したのは錦戸だった。

 

「手越、増田、加藤、小山が最近意見言うようになってきていいことだと思う」そう話した彼は、ずっと多忙すぎる毎日を自身の力と努力で駆け抜けてきた人だった。

 

 

 

NEWSが4人になった時、小山が「山Pは分かってたけど亮ちゃんまで」と言った。そう。錦戸亮はNEWSをずっと愛していた。決して手を抜かなかった。NEWSでいようが関ジャニ∞でいようが錦戸亮錦戸亮だった。

 

 

それでも関ジャニ∞を選んだのは、4人に歩み寄ろうとしたけれど受け入れられなかったからだと私は思う。関ジャニ∞のメンバーは掛け持ちしていようが変わりなかった。でも、彼を心配して見守ってそして支え続けた。それはあらゆるエピソードからくみ取れる。一方のNEWSは掛け持ちをしているのは彼なのだから彼が戦うべきだという方針だったのではないか。コンサートのメイキングで回りのメンバーは前日に振りを覚え喋ったり休憩したりとおのおの自由に過ごす中たった一人で振り落としをする錦戸が収録されている。協力してやればいいのに。と当時も今も思う。

 

4人のNEWSと山Pは脱退についてこれまで何度も語ってきたし自分の思いを口にしてきた。それは別にいいと思う。ただ、気になるのは4人がまるで被害者のように語ることだ。皆が皆とは言わないがそう取れるような発言が度々ある。錦戸に歩み寄らなかったのは、支えてあげられなかったのは、と思ってしまう。彼らが脱退について話すときに錦戸の当時の本当の忙しさと心労を理解した発言は今のところ私の記憶ではない。

 

錦戸本人が脱退について語ったのは脱退後初のMステだけだ。とはいえ報告のみであった。これからも話す必要はないし、話さなくていいと思う。でも、もし彼が何か話すことがあれば、私はそのすべてを受け入れる。

 

ここ最近になってNEWSと関ジャニ∞の共演が少し増えた。笑いあう彼らを見てほんの少しうれしかった。でも、加藤がチカラウタで泣きながら語った錦戸とのエピソードを聞いて過ぎ去った過去になんかまだ本人たちもできていないんだと気づかされた。

6人で過ごした時間は彼ら一人一人にとって重いものであるべきだと思う。若かった時には気づけなかった互いの思いを忘れないでいてほしいと思う。

そしていつか6人で笑いながら話してほしいと思う。

 

NEWSにShareという曲がある。これは錦戸が提案したメンバーに向けて6人が歌い継ぐ曲だ。これを提案された4人は嬉しかっただろう。私はそう思いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  いつのまにか年重ね世間で言う立派な大人だね

  信じてきたモノはそれぞれに譲れない部分もそれぞれに

  無理に一つにならずに混ざりあえない日はそのままでいい

  一人一人が持つ色だから鮮やかなマーブル描けばいい

 

錦戸が書いたパートだ。マーブルみたいな6人だった。

たくさんの幸せをありがとう。8年間頑張り続けてくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ星が今見えるなら僕らはただそれだけでいい

 

本当に同じ星が見えるだけになっちゃったね。

 

 

 

 

 

 

 

 

あくまでここに書いたのは私の意見でファンのエゴだ。

それぞれの思いがあるのが当たり前だと思う。

 

 

 

私はNEWS 錦戸亮関ジャニ∞ 錦戸亮も大好きだ。













手越くんの発言訂正というか必要のない文だと判断しましたので消させていただきました。